ネット上では、既存メディア(特にテレビや新聞)への嫌悪感がベースにあるのか、メディアを通じて「自分たちの行動が操作されること」への強いアレルギーがあるように見えます。
そんな中で、極めて自律・分散型のメディアであり、特定の企業や政府などが、その内容を操作することが、極めて困難なブログというメディアは、特に上記のようなアレルギーを持つ人にとっては、神聖不可侵な聖域といってもいいメディアなのでしょう。
そこに、カネの力でもって、ブログのコミュニケーション内容を操作しよう(=ペイパーポスト)という手法が登場したことが、ペイパーポストに対するブログコミュニティからの皮膚感覚レベルでの反発の原因になったのでしょう。
これは心情的には、よく理解できます。尾崎豊風のベタな言葉でいえば「俺らの解放区を汚い大人やビジネスの連中に汚されたくない!」というような反発も根底に感じ取りました。
しかし、自分たちの意見が、「操作されてしまう」ことへの強いアレルギーや反発があるということは、裏を返せば、「全く操作されてない」純真無垢なブログ記事の存在が、現状で、多数を占めているということを前提にしています。
これは、あえて言えば、ナイーブで純情過ぎる、思い込みでしょう。
「私と仕事、どちらが大事?」とか、「人類の命とお金と、どちらが大事だと思うのですか?」とか、「手術と治癒と、どちらが大事なんですか?」とか、スコープの異なる何かを同列に並べて無理な選択を迫りつつ、相手を優柔不断と罵るメソッドって、なんか名前ついてないんだろうか。
— Twitter / @medtoolz (via burnworks)
初期のインターネットはパソ通の雰囲気も残ってて、コミュニケーション殺伐地帯だったわけだけど、2ちゃんねるで殺伐の方向性が変わって、ソーシャルメディア全盛になって殺伐のベクトルがコミュニケーションから人間に対して移っている印象。これは人単位で情報を切り分けたことの弊害
— Twitter / @tsuda (via igi)







